KSKS CIL豊中通信【アイエルちゃん新聞】Vol.67 2025年11月号
編集人 NPO法人CIL豊中
豊中市蛍池中町2の3の1の203
H P: http://www.ciltoyonaka.com/
Twitter: @ciltoyonaka
Email: ziritsu@ciltoyonaka.com
TEL 06(6857)3601
FAX 06(6857)3602
発行人 関西障害者定期刊行物協会
大阪市天王寺区真田山町2の2
東興ビル4階 定価100円
特集:たまにはね、足をのばして「いい湯だな」 -前編-
前号は「猛暑」ということで、海を特集にしました。今号は師走の初めに皆さんのお手元に届くということで、「冬と言えば」でこれまた分かりやすく、温泉をテーマにしました。大阪から近い圏内で行ける、バリアフリーの温泉はないか?編集部で話し合った結果、三重県に【伊勢志摩バリアフリーツアーセンター】が、兵庫県に【城崎ユニバーサルツーリズム】が、それぞれ存在することが判りました。早速両団体にアクセスをし、そこを介して最終的に取材する温泉を決定しました。距離的に1泊する行程となりましたが、ヘルパーさん同行でのバリアフリー温泉旅行は、正直「安くは」済まなかったと思います。ただ、本記事を参考に、たまにはゆっくり温泉旅行も、悪くはないのではないでしょうか?今号の前編と次号の後編、2回に分けてお届け致します。
♨もう行けないと思っていた
今までも私は外での入浴や温泉には、家族と行くか諦めるしかありませんでした。一度だけヘルパーさんが誘ってくれてスーパー銭湯に行った事がありました。だけど手すりもなく、シャワー椅子もない、浴槽に入るのもひと苦労しました。その時のヘルパーさんに「大変だったからもう行くことはできないね」って言われたことがありました。
今回の特集で、障害があっても温泉に入りたいというテーマになって心が明るくなり、「体験してみたい」と声を上げました。
まずは情報を集めるために伊勢志摩バリアフリーツアーセンターにメールをしました。すると、次の日には榊原温泉という温泉地の中の福祉旅館「湯の瀬」があるという情報を頂き、福祉旅館ということでリフト付きの貸切風呂があったり、シャワーチェアやシャワーキャリーなどの福祉用具が充実していることと、9月から病院監修の嚥下食もしてくれると教えて下さいました。
♨いよいよ出発です
私は箕面市に住んでいて大阪難波駅で近鉄特急に乗り換えなければいけないと電車とバスに詳しい根箭さんに教えてもらいました。それと特急電車に乗る際、私の電動車いすが通れるドア幅の車両が16時11分しかないという事も教えてくれて、特急券を買いにも行ってくれました。
そしていよいよ三重県津市にある榊原温泉 「湯の瀬」に向かうため、箕面萱野駅から大阪難波駅まで御堂筋線で行きました。そこから近鉄線に乗り換え1時間20分ほどで榊原温泉口駅に到着しました。
♨おお~怖っ!
この榊原温泉口駅から宿泊施設の榊原温泉 「湯の瀬」までは6kmも離れていて徒歩ではいけそうにないので、介護タクシーを手配していました。介護タクシーは「旅屋トラベル」のケアタクシー「トレシア」を利用しました。
駅に到着すると、この駅はエレベーターがなく、改札口に行くには階段を下りるしかありませんでした。そこでチェアメイトという、車いす利用者が階段を安全に昇降できるように設計された階段昇降機が用意されました。
そのチェアメイトに乗って改札口まで移動するのですが、大変に怖かったです。なぜかというと、階段の段差を、特殊設計のゴムクローラーが階段段鼻をグリップした状態で階段を下りていくのですが、何回かガクンと体に感じるほどの振動があり、「こわい~!」と叫んでしまいました。
改札を出ると、ケアタクシートレシアの運転士さんが、乗車用のスロープを準備して待っていてくれました。
その日は駅に着いたのが17時30分を過ぎていたので、駅周辺はもう薄暗くてあまり周りの様子が見えなかったと思います。ケアタクシートレシアに乗って15~20分ほどで、榊原温泉「湯の瀬」に到着しました。
そして、18時にチェックイン手続きをし、部屋に案内されました。
私が案内された部屋は1階で、ベッドがヘルパーさんと2人のツインルームでした。一つは介護ベッドで、もう一つは普通のベッドでした。トイレも広くて使いやすかったです。
部屋に荷物を置いた後、19時から夕食の時間だったので、ほぼ休憩なしでレストランへ向かいました。
メニューとしてはサラダ、天ぷら、唐揚げ&フライドポテト、ラム肉の炒め物、炊き込みご飯とお味噌汁で大変美味しくお腹がいっぱいになりました。
♨いよいよ温泉♪
お腹がいっぱいな状態で少し部屋で休憩をしたかったけど、20時からの貸切風呂の予約だったのでお風呂に行きました。普通の温泉浴場は私には湯舟に浸かれないと思ったので、貸切風呂を予約していました。
前日に宿泊施設の担当者からお電話があり、湯舟にお湯を張るのに3時間ほど掛かるそうなので早めに準備して頂きました。
そして、貸し切り風呂はとっても広くてシャワーチェアやリフト(シリングが必要な場合はフロントで伝えて下さい)があり、福祉用具は確かに充実していました。
私はシャワーチェアを使い、ヘルパーさんに頭と体を洗ってもらい、ヘルパーさんと一緒にいざ入浴!!
お風呂は広いので2人で入ってものびのびと入ることができました。浴槽はジャグジーとライトアップ機能が付いていたので、お風呂場の照明を消してお風呂の照明とジャグジーをムーディにしてみたりして堪能しました。
ただ、お風呂が広いためかめちゃくちゃ寒かったです。もしかしたら、お風呂の窓が開いていたかもしれないなぁとも思いました。
入浴後、普通の温泉浴場も見に行きました(撮影はできませんでした)。
頭や体を洗う場所が7~8ヵ所あり、浴槽の入り口には手すりがありました。脱衣所はロッカーが並んでいて、座って着替えをする方の椅子が何脚か並んでいました。洗面所には大きい鏡があり、ドライヤーも設置されてました。
この日はなかなかの移動距離で疲れたのか、早々に眠ってしまったみたいです。
♨おはようございます
ぐっすりと眠れてすっきりした朝を迎えました。そして、顔を洗って着替え終えて昨夜のレストランへ朝食に行きました。
昨夜の夕食のときにフォークを借りたので、朝食の時に料理と一緒に持ってきてくれました。朝食も美味しくいただました。
チェックアウトの時間が10時なので、早々に部屋へ戻って荷作りをしました。そして、時間になったのでフロントでチェックアウトの手続きをしました。
昨日お世話になった介護タクシーがフロントまで迎えに来てくれて、乗車しました。私の電動車いすが結構しっかりしているためか、乗せてもらうときや下りるときに車内に当たってしまい、傷つけてないかハラハラしてました。そのことを話すと運転士さんは、電動車いすのミラーやカップホルダー、コントローラーの横にぶら下げているキーホルダーのことを気にして下さいました。
♨ここからはオプション、観光編です
ホテルを後にしてから帰りの特急の出発時刻まで、3時間以上のブランクがありました。榊原温泉の宿泊施設周辺は観光する場所が少ないようなので、介護タクシーで松阪市の方まで車を走らせて観光地へ連れて行ってくれました。まず連れて行ってくれたのは、国の指定重要文化財になっている「御城番屋敷」です。ここは松坂城裏門跡を出た先の石畳の両側に、役職の武士20人とその家族が住んだ武家屋敷が並んでいるところです。屋敷には今も子孫の方が住んでいて、維持管理を行っているそうです。その中で一般公開されているお屋敷を見学させて頂きました。お屋敷の玄関土間に段差がありましたが、そこには木材のスロープが置かれていて、電動車椅子の私でも入ることができました。
そのまま中に入ったら、座敷には上がれませんでしたけど、屋敷の資料や、昔に使っていたミシン機がありました。
次に向かったのは「松阪もめん手織りセンター」です。そこは五世紀の後半、大陸から渡来した呉織たちが初めて紡績のメカニズムが持ち込み、高度な技術によって、古代日本の一大紡織の中心地になりました。
松阪もめん手織りセンターは、たくさんの藍染めされた糸で織られた商品が展示・販売されていて、奥には織機が並べられてました。
事前に申込みをしたら、1日織姫体験ができるそうです。
♨お土産を買って、豪華ランチも!
その後は、松阪もめん手織りセンターの隣の「豪商のまち松阪 観光交流センター」という所に案内されました。 そこでは職場へのお土産を買いました。
ちょうどお昼の良い時間になりましたので、近くの「松阪まるよし」という松阪牛専門のお食事処に連れて行ってくれました。そこまでの道中の介護タクシーの中では、ヘルパーさんと大喜びしたのを覚えています(笑)。
もちろん食べたのは松阪牛ステーキランチセット!松阪牛のお肉の柔らかさと甘さが感じられて幸せでした。
最後に、介護タクシーの運転士さんオススメのコロッケ屋さんに連れて行ってもらい、その日の夕御飯のコロッケとエビフライとメンチカツなど5種類ほど買いました。そこは注文するとその場で揚げてくれて、アツアツですぐにでも食べられるそうですよ。
♨運転士さん、お世話になりました
別れ際には「帰りの電車の中で食べて~」と、運転士さんオススメの差し入れまで頂きました。
いよいよ帰りの電車の時間が近づいてきたので、松阪駅に送って頂きました。そして最後の降車時に運転士さんが「やっと慣れた!!」と嬉しそうに言われたとき、本当に大変だったのだなと思いました。大変お世話になりました。
いよいよ帰宅の途につきます。小学校の時によく聞いた話ですが、家に着くまでが遠足!なので、まだ気を緩めずに帰ろうと思いました。
この松坂駅はエレベーターがありましたので、切符を買ってスムーズに電車へ乗ることができました。
そして電車に乗って早々に運転士さんから頂いた差し入れを美味しく頂き、その日のことをヘルパーさんと話しながら帰ってきました。
今回の特集の企画がなければ、私は本当に温泉には縁がないまま過ごしていたと思います。これを機に、また私でも行けるバリアフリー旅館を探してみようと思いました。
(担当:瀧本)
榊原温泉【湯の瀬】
所在地:三重県津市榊原町6103番地
電話:059-252-1313今取材で宿泊した部屋:ツインルームで1泊13.000円
☆伊勢志摩バリアフリーツアー センター
所在地:三重県鳥羽市鳥羽1丁目2383-13 鳥羽一番街1F
電話:0599-21-0550
メール:iseshima@barifuri.com
営業時間:9時半~17時
定休日:木曜
写真の解説
・チェアメイトに車いすを乗せるところと、階段を下降するところ
・宿泊した部屋。柵付きの介護用ベッドで寝て、隣がヘルパー用ベッド。部屋のトイレ
・夕食で出された、炊込みご飯とラム肉
・浴槽の手すりと滑り止め、ライトアップされたジャグジー
・貸し切り風呂の全体の様子、シャワーキャリーとシャワーチェア、リフトと手すり
・朝食。メインはアジの開き
・帰りに観光で巡った場所の写真数点と、松阪牛ランチセットの写真
市民講座「“フルインクルーシブ教育”ってなんだろう?誰もが一緒に学ぶイタリアの教育実践を知ろう!」開催報告
2025年8月17日(日)、豊中市蛍池公民館にて、当センター主催市民講座を開催しました。2022年、国連のジュネーブ勧告にて批判された日本の特別支援教育。一方、イタリアでは障害がある子どもの99%が地域の学校に通っているといいます。日本における障害がある子どもたちへの公教育のあり方を見つめ直す機会として、本講座を企画しました。猛暑の中にもかかわらず多くの方にご参加いただきました。講師には大内紀彦先生をお招きしました。神奈川県立鶴見支援学校の現役教員である大内先生は、2023年から1年間、イタリアに滞在され、現地の教育実践を見てこられました。今回はイタリアでの障害がある子どもたちへの教育制度の歴史と、現在の現場での実践内容についてご講演いただきました。
●イタリアの教育の歴史
分離教育からフルインクルーシブ教育の国へ
イタリアでも1920年代からの約50年間、分離教育が採られていましたが、1970年代からインクルーシブ教育の実現に向けて国全体の教育法制を転換していったと言います。およそ20年をかけて様々な制度、組織、考え方、カリキュラムを変えていき、保育園(0歳)から大学までの全ての段階から通常教育を受けることが保障されるフルインクルーシブ教育と言えるような体制が整えられました。
●現在のイタリアの教育 学校は社会を映し出す鏡
イタリアでは、多様性に基づくインクルーシブな社会を目指すために学校教育があると考えられています。例えば幼稚園・小学校・中学校の校長を同じ人物が務めているといいます。さらに幼稚園から中学校までの過程で原則としてクラス替えは無く、長い時間をかけて多様な子どもたちが互いに関係性を築きながら、共に生きることを学ぶ場として重きが置かれているようです。このような、「共に生きる力」の育成するための協同学習や特別活動が実施されています。また、それぞれのクラスに対して、教育的ニーズのある生徒に応じて支援教師が加配され、外部から教育の専門職らも派遣されるなど個別的な対応が為されるほか、生徒の個別教育計画の作成に、医療職・福祉職も交え、多分野の関係機関が連携することで成り立っているようです。
●日本にインクルーシブ教育はあるのか? 日本は“インテグレーション教育”
現在の日本の障害児教育はインクルーシブ教育を掲げながらも、分離教育の有効性を主張する声もあり、現に支援学級・支援学校があることで大枠は分離教育であると大内先生は批判されました。地域の学校で共に学ぶ取り組みも実施され、インクルーシブ教育が推進されていると言われつつも、教育制度全体を見た時には、健常児中心に作られた学校の中に障害児のクラスを統合した、インテグレーション教育になっているのではないのか?との見解です。
●イタリアでの教育と支援
イタリアでは、個別に支援が必要な子どもに応じて、支援教師の加配や教育士などの専門職が外部から配属されるということです。しかし、支援教師や教育士の役割は、支援が必要な子どものサポートだけに限定したものではなく、専科教師と共に、授業全体の進行にも関与していくと言います。また、医療的な支援が常時必要な子どもに対しては看護師が派遣され、常時配置されているケースもあります。一方で、これらは自治体ごとに人的な資源に限りがあり、地域差が生まれる部分でもあると言います。
●質疑応答 イタリアの人々の権利意識
質疑応答では、イタリアの教育の根底にあるもの、日本の教育の課題など関する質問が寄せられました。イタリアでは「一人一人に違いがあるのは当たり前、すべての子どもたちが持つ教育を受ける権利をどのように保障するのか」という意識が社会全体で共有され、取り組まれています。一方、現在の日本では、通常学校に自分の子どもを通わせることへの不安や、支援学校を手厚い環境として推奨する動きがあることから、安全・安心であるかが選択の基準になっているのでは?と分析をされました。
●まとめ フルインクルーシブな社会を目指して
フルインクールシブ教育とは、フルインクルーシブな社会を作るための教育である、と大内先生は言いました。つまり障害に限らず、移民など、多様なルーツが原因で排除されることもない、一人一人の権利が保障された社会を作っていくためのものだということです。講演中、「フルインクルーシブ教育は全ての子どもたちが対象」と繰り返し強調されました。この講座を聴かれた方や、この記事を読まれている方は「障害児のための教育」として、フルインクルーシブ教育を捉えていたかもしれません。しかしそうではなかったのです。「障害児・障害者のため」という視点から、「全ての子どもたち・人々のため」に視点を拡げることが、私たちがこの講座から学べる第一歩なのかもしれません。今後も、継続的に学習機会を設けていきたいです。
(担当:濵名)
・講師の写真
わくワークみっけ!!
地域で共に働き、暮らす場を45 年 えーぜっと
豊中市大黒町3 8 14
06-6334-3170
豊中市大黒町の一角に、焼きたてのパンの香りが漂うベーカリーがあります。今回うかがったのは、社会福祉法人クリエイティブサポートセンター 「えーぜっと」です。スタッフの中山晋吾さんが、笑顔で出迎えてくれました。
〇「AからZ」に込めた想い
「えーぜっと」という名前の由来は「AからZまで、誰もが共に生きる」が定説ですが、発足時の話を聞くと諸説あるようです。めざすのは、誰もが地域で当たり前に暮らし、当たり前に働けるまち。支援する人・される人と線を引くのではなく、一緒に活動する仲間として、日々のパンづくりを続けています。
〇地域で働く場をつくって45年
えーぜっとが誕生したのは1980年。障害のある人が入所施設で暮らすのが当たり前だった時代に、「地域で暮らす運動」の流れの中から「自分たちの働く場」を自分たちの手でつくりました。はじまりは石けんの製造、1985年にはベーカリーを開設。2000年代初頭に法人化しましたが、共に働くという原点は今も大切にしています。
〇パンづくりの1日
パンづくりは前日の仕込みから始まります。当日は朝7時半ごろから発酵・成形を行い、11時ごろに焼き上がり。袋詰めとシール貼りを終えて11時半に出発し、正午ごろから販売が始まります。作業は得意な役割で分担。整形担当、袋詰め担当、ラベル作成など。パンと並行して、クッキーやラスクの製造も進めます。現在、「一緒にパンをつくる仲間を募集しています」とのことです。
〇定番から新商品まで
定番はあんぱん、メロンパン、カレーパン。ここ数年で「チョコ入り白パン」が人気の定番になりました。今年は「抹茶メロンパン」も新登場。惣菜系では「ピザパン」が好評です。人気や原材料の状況を見ながら、続けていけるラインナップへと少しずつ入れ替えています。
「ベーカリーみんなが試行錯誤を重ね、『おいしい』と言ってもらえるパンを届けられるようになりました。その一言が励みです」と中山さんは話します。
〇地域に根差した販売活動
えーぜっとのパンは、学校、図書館、保育所、団体のカフェなど、市内外のさまざまな場所で販売、配達されています。地域のイベントではクッキーやパンの販売に加えて、ゲームやスーパーボールすくいなどの企画も。大阪大学のカフェでは月1回販売し、高校の文化祭などの注文にも対応しています。個人への配達や団体からの注文も受け付けており、保育所への仕入れ商品の納品や、月に2~3回の公園清掃活動も行っています。
「45年続けてきたことで、『昔から買ってます』『家族に頼まれて』という声をかけてもらえることが増えました。販売が厳しい時期も、地域の人たちが続ける方法を一緒に考えてくれる。本当に支えられています」と中山さんは笑顔で語ります。
〇“いい意味でゆるい”場所
えーぜっとには、「いい意味でゆるい場所」という合言葉があります。過度な管理や競争ではなく、お互いを尊重し合える関係を大切にしてきました。制度では利用者と支援者という区分けがありますが、えーぜっとでは人として、仲間として接することを意識しています。障害のある人をお客さんとしてではなく、一緒に活動する仲間として。制度の枠の中ではありますが、できるだけその想いを体現していきたいと思っています。いい意味でのゆるさも大切なんですね。
〇これからのえーぜっと
えーぜっとには、まだ常設の店舗がありません。「電話で『パンを買いたいのですが、どこで買えますか』と聞かれても、すぐにご案内できる場所がないのが課題なんです」と中山さん。まだまだ課題はたくさんありますが、今後、地域の人が気軽に立ち寄れる店舗の併設など、地域の人たちと広くつながれる事業展開ができないかと考えています。
同じ法人が運営する「よーいドン」・「ゆうかりの家」との連携も強めながら、「誰もが地域で共に働き暮らせる場」をこれからも広げていきたいです。より広い拠点での活動も視野に入れながら、配達や販売に出向く活動を続けていきます。
パンやクッキーの注文、見学は大歓迎です。また、パンづくりに関わりたい方、経験は問いません。「パンが好き」「地域で働いてみたい」という気持ちがあれば、ぜひ一度お問い合わせください。
(担当:大岩)
・ベーカリーと作業所内の写真
豊中地域情報ばびゅーん!!
CICCIA(チッチャ)
2025年秋です。またまた地域情報ばびゅーんの特派員(?)は、美味しいものを求めて行ってきました。今回はわがCILの事務所のご近所さん、つまりは豊中市の蛍池、モノレールと宝塚線阪急電車が交差する駅です。伊丹空港も一駅先にあります。駅に近くて、だれでも行けるバリアフリーのお店は、とてもうれしいです。
★☆イタリアンのお店です
お店の名前「CICCIA(チッチャ)」は、イタリア語で「小さい女の子」という意味です。イタリアでお母さんが、自分の娘に愛を込めて呼ぶときによく使われる言葉で、地域の人に愛されるお店にしたいという思いで名づけられたそうです。2024年8月1日に開店した、バリアフリーのお店です!駅に近くて1階がお店で、店の前の交通量も比較的少なく、歩道も広くて危なくない。それに店内は入り口から緩やかなスロープがつけられていて、ベビーカーや車いすも入れます。席の間も広く取ってあるから、車いすのまま難なく席につくことができました。開店から一年、時々車いすの方も来られて、普通に食事を楽しんでおられるようです。
★☆目の前でピザを焼き上げてくださる!
イタリアのナポリピッツアが一番の売りで、店内の入り口付近にオープンキッチンがあってピザ用の石窯が設置されています。私たちの目の前で焼き上げて下さるんです!トマトソースの大好きな私がオーダーしたピザは、ごくシンプルなマルゲリータ。わくわくした気分で待ち、焼きあがって出てきたときに「ウォー、おいしそう」と感動して、その焼き立てのピザを一口、口に入れると最高でした!芳しく焼けた生地は、端っこの方は、カリッ、パリッとして中ほどに行く程に柔らかくなり、トマトソースやチーズとまったりとからみ会い、口の中で美味しいハーモニーを奏で出す、そんな感じでした。前菜もおしゃれで,かわいらしくおいしかったです。とくに一枚の生ハムがサラダを引き立てていました。
★☆蛍池に来られたら、駅の下をぜひブラリとしませんか!!
店長の森田健嗣さんは地元の方で、「大阪市内の繫華街よりも北摂地域の住宅街で、ゆっくりと、自分のペースで美味しい料理をつくり、お客様に提供していきたい」と、いう思いで蛍池の駅近くに開店されたのだそうです。一年が過ぎ、今までは来てもらう人が望む料理と、彼自身の出したい料理とを合わせてきた感じだけど、これからは徐々に、「イタリアに特化した自分らしい料理を出して、来てくださった方に喜んでいただきたい」とのことでした。そしてまた、大多数の人たちが毎日蛍池駅を利用しているにもかかわらず、改札口がどちらも3階なので、なかなか下までは降りてきてくれないということがあり、蛍池周辺の飲食店と協力して、街全体を盛り上げていき、蛍池に来たら駅の下にも降りてきて、街のブラリ歩きをより多くの人にしてもらえるように、がんはりたいとのこと。蛍池周辺にもいろいろなお店があるので、「こんなおいしいお店があるんや」とか、また新しい発見があるかもしれませんね!
最後に、地域に愛され、必要とされるお店作りをしていきたいので、お気軽にご来店お待ちしていますとのことでした!
(担当:塚原)
所在地:豊中市蛍池中町2-4-18北側
電話:06-6318-8676
営業:水曜・木曜は11時半~14時半と17時半~22時、火曜・金曜・土曜・日曜は15時~22時
定休日:月曜
・お店の外観の写真と、ピザ釜の写真、ピザ「マルゲリータ」の写真、店長の写真を掲載
CIL豊中 2025年度通常総会報告
去る6月21日(土)、蛍池公民館にて特定非営利活動法人CIL豊中2025年度通常総会が開催されました。14時5分に開会宣言、徳山理事長による開会挨拶の後、徳山理事長を議長として審議が始まりました。各議案の説明・質疑を経て議案は全て原案どおり承認可決され、14時40分に閉会しました。
議事
第1号議案
2024年度事業報告及び決算の件
第2号議案
役員選任の件
報告事項
2025年度事業計画及び予算
《2024年度事業報告及び決算》
2024年度は、障害者総合支援法における在宅福祉サービスとして、居宅介護、重度訪問介護、同行援護、生活介護、計画相談支援、地域相談支援を行った。地域生活支援事業として、移動支援、豊中市重度障害者入院時コミュニケーション等支援事業、豊中市重度障害者等就労支援特別事業、少路障害者相談支援センター事業を行った。児童福祉法における在宅福祉サービスとして、放課後等デイサービス、児童発達支援、障害児相談支援を行った。介護保険における在宅サービスとして、訪問介護、介護予防・日常生活支援総合事業訪問型サービス事業、訪問看護(医療保険含む)、介護予防訪問看護を行った。また、豊中市障害者外出支援サービス事業、大阪府医療的ケア通学支援事業、障害支援区分認定調査、点字名刺事業を行い、障害を持つ人の地域生活の支援を行った。
障害福祉は原則3年に一度見直しが行われる。2024年度は見直しの年であり様々な改定が行われた。改定の度に複雑で細かな報酬体系になり、対応に苦慮するのが当たり前になっている。
また、障害者自立支援協議会や相談支援等連絡会、障害支援区分認定審査会、医療系会議などに委員として参加し、地域福祉の充実に力を注いだ。
■少路障害者相談支援センター(豊中市委託事業)
豊中市障害者相談支援事業及び豊中市障害者基幹相談支援事業
相談・支援件数3,281件
・自立生活プログラム講座「自立だョ!全員集合」
・市民講座 「それって偏見なの?」
■豊中市障害者外出支援 サービス事業(豊中市 補助事業)
運行回数2,586回
■点字名刺の作成販売 作成枚数500枚
■障害支援区分認定調査 調査件数42件
■計画相談支援 利用者数52人
■障害児相談支援 利用者数3人
■地域相談支援
利用者数0人
■障害者総合支援法介護 サービス
派遣時間106,19 2時間
■生活介護 通所回数1,099回
■放課後等デイサービス 通所回数262回
■児童発達支援 通所回数1回
■介護保険法介護サービス 派遣時間4,568時間
■訪問看護サービス
訪問回数5,876回
■大阪府医療的ケア通学支援 送迎回数108回
■介助サービス(制度外) 派遣時間128時間
《役員選任》
理事会推薦による次の6名が選任された。
理事
徳山辰浩(再任。 互選により理事 長)
理事
大岩裕司(再任。 互選により副理 事長)
理事
馬淵敦士(再任)
理事
吉村史生(再任)
理事
大田立子(再任)
監事
坂 龍雄(再任)
【山口博之理事の死去について】
山口博之理事が、4月14日に74歳で永眠致しました。
長年のご尽力に感謝申し上げると共に、心よりご冥福をお祈りいたします。
《2025年度事業計画及び活動予算》
障害者総合支援法・児童福祉法・介護保険法及びその他事業を2024年度と同じく行う。
また、障害者自立支援協議会や相談支援等連絡会、障害支援区分認定審査会、医療系会議などに引き続き委員として参加し、地域福祉の充実に力を注いでいく。
本年度予算は約587,000,000円。
(徳山)
活動計算書
2024年4月1日~2025年3月31日(単位:円)
Ⅰ 経常収益
1.受取会費 116,000
2.受取寄付金 0
3.受取補助金等 20,588,042
4.事業収益 577,842,490
5.その他収益 1,227,289
Ⅱ 経常費用
1.事業費 595,172,832
2.管理費 2,924,743
Ⅲ 経常外収益
経常外収益 233,999
Ⅳ 経常外費用
経常外費用 394,500
税引前当期正味財産増減額 1,515,745
当期法人税等 2,665,000
当期正味財産増減額 △1,149,255
前期繰越正味財産額 162,857,715
次期繰越正味財産額 161,708,460
(徳山)
であいの郷市民委員会内部研修「発達障害について」講演報告
【ねや散歩番外編】
2025年10月1日、豊中市玉井町に在る「であいの郷市民委員会」にて内部研修が行われ、テーマが発達障害ということで、当事者の私が講師を務めた。10人余りを前に、主に①診断を受けるに至った経緯、②障害の症状・特性・困り事、の2点について講演した。
①診断に至った経緯
私は30歳の頃、仕事を通じて初めて「発達障害」の存在を知った。数年後に詳しく特性を知る機会があり、「自分に非常に近い」と強く自覚したが、その時点では診断を行うには至らなかった。何故なら、当時の業務環境は私らしさのままでもある程度は適応出来、職場の事業全体に占める、自分が能力を発揮出来る割合も、今よりずっと多かったからだ。また、障害診断を自ら希望することに対して、「健常者の生き方から逃げる」というマイナスイメージを掻き消すことが出来なかったというのもあるが、これは今思えば偏見だった。その私が診断を決意したのは40歳のときで、制度の変革に伴い業務環境が激変して、「ややこしい、煩雑、急ぐ」の3点セットの仕事内容となった。この状況に耐え切れず、自らメンタルクリニックを訪ねて診断を受けるに至った。
☆IQテスト豆知識
「診断を受けた」と一言で書いたが、具体的には先ず院長先生と面談し、その後日を改めて2時間以上に亘るIQ兼心理テストを受けた。私は総合IQが99で、項目別(抜粋)では次の通り。
●知覚統合(目で認知し、形を認識する。言われなくても推察する)=79
●動作性(正確に書き写す、細かい書類業務能力)=76
●処理速度(早く対応して、状況を飲み込む、急な動きへの対応能力)=75
●言語理解、言葉で何て言われたかを理解する=105
●耳から聞いた情報(言葉、声、音楽、歌、音)を基に考え、想像・発展させる=117
項目別でも総合でも、平均のIQは概ね92~107で、IQ70以下が療育の対象とされる。また、項目別IQの最高値と最低値の差が30以上だと一般に「生きづらい」とされるが、私は60以上あった。
②障害の症状・特性・困り事
この項目に一番時間を割いたが、主に服薬と自傷行為について話をした。診断を受ける切っ掛けとなった業務は、とても素面で出来るレベルでは無かったので、通院・服薬が「必需品」だった。服薬の内容はコンサータとレキソタンの2種類。前者は仕事の段取りを整理してパニックを抑制する役目を、後者はストレス軽減と導眠剤を兼ねる。私は2つ合わせて「計画相談薬」と呼んでいた(その仕事のための服薬だったから)。コンサータは約8時間で効き目が切れるので、その際に異常なまでの脱力感があり、また食欲減退といった副作用があった。自傷行為は、夜自宅で仕事の何かがフラッシュバックした時など、壁に後頭部を強くぶつけたり、両手で頭をバンバン叩く傾向があった。ただ、自傷行為は学生時代などにも度々起こっており、まだ世の中が発達障害の存在を全く知らなかった当時は、私自身も常に「もっと普通でなければ!」、「もっと周りと同じでなければ!」と焦っていたのだと思われる。最後に、「発達障害といっても、特性や困り事は十人十色で、私=全てとは思わないで欲しい」と伝えて終了した。
(担当:根箭)
・講師(筆者)の写真と、講演場所外観の写真
ひと夏の成功体験で、希望いっぱいの秋を迎えました!
【どんぐりのひとりごと特別編】
ことのはじまりは本誌の編集会議で、7月号の特集を決めようとしていた時でした。各自考えてきた案を出していくのですが、何も考えていない私はとっさに思いつきで、「夏だから、山や海に行きたい」と言ってしまいました。でも、採用されないかも、と思いながら聞いていたら、ある人がネットで、ユニバーサルビーチプロジェクトを発見、話はどうも海に進んでいるわ。と、まるで他人事でした。
だれか、とめてー?!
私も行きたいのはもちろんですが、一昨年の入院騒ぎ以降、加齢とともに華麗なる変身を遂げ、海に入れるかどうかが気になっていました。いや、臆病な私は、誰かに止めてほしい気持ちもあって、訪問看護の人などに言ってみたものの、だれも止めてはくれず(?)、「ま、当たってやろう」と決意を固めました。元々は海が大好きだったから、歩行可能だった若いときはよく行っており、最後に行ったのは20数年前、まだ幼い娘と行った北京都の海、日本海側は波が荒くて、幼い娘は怖がっていたから砂遊びしていたことを思い出しました。あの頃はまだ自分で動けていたのです。今の私は全く動けません。それで本気で海に、それも、海水浴?自分で取材に行き、記事を書き始めているにもかかわらず、自問自答を繰り返していました。
そして、海に行く当日は「海の日」、快晴となりました。
私は決意を固めて、戦い前の腹ごしらえをしました。バスや電車を乗り継いで、神戸の須磨海浜公園に到着です。ギンギラギラとまぶしく太陽は照り付け、まるで絵に描いたような青い空と綿菓子のような白い雲が少々、キラキラ輝く海。明石海峡大橋の先に見える小高い緑の山々は淡路島!!見渡せば地平線がどこまでも続きます。なんて気持ちがよいのでしょう!急に開放的な気持ちになりました。
先の取材でお聞きしていた仮設の建物には、更衣室(ベッドあり)、トイレ、シャワー室、大きい車いすが楽に入り、エアコンも効いていて、楽に着替えができてありがたかったです。さあ!今から娘に買ってもらった水着に着替えて、海にドボン!
初めて「水陸両用車いすヒッポキャンプ」に乗りました。もっと左右に倒れていくのではないかと不安でしたが、体は固定されて動かず、倒れなかったです。車いすごと浮きました、イヤ、ホンマに!この時、手足が動かせず残念。せっかくの海だから浮き輪で浮いて手足を動かせる様な気持ちにもなり、次回来る機会があれば、それを頼んでみたいと思いました。水陸両用車いすは日本製ではないそうですが、もっと一般的に知られていけば、高齢者でも重度障害者でも海や山を楽しめると思うし、ビーチマットは重くて敷くのが大変らしいのですが、私たちが海を楽しむには必要不可欠なものです。
ボランティアの方々には感謝の言葉しか出ないです。気さくに話しかけて頂き、とてもリラックスできる雰囲気で楽しかったし、貴重な体験をさせて頂きました。
今、絶対にできないと思っていることが、以前とは形は違うけど、多くの人に支援されて出来たという喜びで、次なるステップが踏めそうです。
皆様も夏の海に少しでも興味のある方は、来年は須磨ユニバーサルビーチに行ってみましょう。呼吸器を海まで持ち運んだこともあるそうで、いろんなことに対応してくださると思いますので、安心してみんなで楽しめるはずです!
・水陸両用車いすに乗った筆者の写真
・海の中での写真2枚
〜小説【雅人の一日】〜
~秋風とロシアンヒマワリ~〜 ベッドのわきで朝刊に視線を落としていた隆生くんが、読み流すままに話しかけてきた。
「AM会津の中町アナをご存知ですか?」
ヘルパーの傍ら、学生街のはずれにある小じんまりとしたギャラリーで春と秋に個展を開くほどの才をもつ彼らしく、季節の移ろいを意識して、からし色の薄手のカーディガンを羽織っている。さりげなく着こなしている。
「まさとさん、ラジコプレミアムだから、ご存知ですよね」
念押しにしては、十月半ばになっても小心者で偏屈な主人に奉仕しつづけてきた扇風機の微弱モードにさえ、かき消されそうだ。
「こないだ、そこのクローゼットから鼬鼠が飛び出してきよったんや。あんなんに咬みつかれてみぃ、考えただけでトリハダが立つわ。大事に至らんでも、アイツら、とんでもなく臭いしなぁ」
ふいに、ヘソを曲げたくなって、ありもしないショートストーリーをすべり込ませる。
それでも、隆生くんはめげはしない。
「カミサンは『知ったかぶり野草図鑑』ていう三十分番組にハマっていましてね、中町アナの映像に頼らない話術にゾッコンだったんです。草木の色あいと形状だけじゃなくて、周囲の景色や風土まで空想させる、行きとどいた心遣いか言葉の余白から垣間見えるの』ってね」
「『垣間見える』って、リスナーに言わせるとこが憎いやんなぁ」
ほんのすこし、隆生くん寄りに軌道修正するつもりが、一瞬にして、《ゾーンスイッチ》をマックス寸前まで急上昇させた。
「だけど、上京するのがショックらしくて、ぼんやり遠くを見てるときがありましてね」
とぎれとぎれのため息が、痛々しくさえ聞こえる。
「ぼくやったら、東京に出ていことは思わんやろな。AMラジオのええとこは、リスナーさんとの距離の近さや。不特定多数に届けるためのメディアやのおて、ラジオの前におる『あんた』とキャッチボールするのが基本やろぉ?」
「ですね」
襟元をととのえながら会話を反芻する彼と、ドヤ顔の口をとがらせるぼくの視線がドッキングした。
「うちのカミサンも、自分が送ったメールが採用されるか、台所の片づけもそっちのけになるときだってあるんですよ」
いきなり、ちょっかい虫が背筋をくすぐった。
「幸枝さん、東北の山国のパーソナリティーに恋心・・・いや、憧れてるにゃろなぁ」
「そろそろ買ってきたたこ焼きが、食べごろの熱さになったと思いますよ」
よけいなはずのひと言に、隆生さんの愁は晴れたのだろうか。
サイドテーブルからハミ出した新聞を四つ折りにたたみ、そそくさと立ち上がった。
焦げたしょうゆが嗅覚を刺激する。
「あ、うんの呼吸やなぁ」
何を指しているのか、ゆらゆらとあいまいな一行がぼくの脳裏にそよぎはじめた。
それから、アパートが解体されたばかりの更地に、傾きかけた日差しを浴びて立ちつくしている二本のロシアンヒマワリを思い出した。
すべての時間軸から取り残されて、思いがけなく押しよせる雨上がりの風に、しなることもできず、不器用に、ただ、ぶきように、堪えているようだった。
(北のグリエゴ)
運転免許取得[極秘]プロジェクト
いざ、仮免教習が始まりました。私の通っている教習所の近くに大阪中央環状線が通っており、ほとんどの教習ルートがその大阪中央環状線を走ることになっていました。大阪中央環状線は車の交通量が多くて、制限速度は60kmでトラックや貨物自動車などがたくさん走っているから、私が勝手に「死のロード」と言ってました。
そして実際に一般道路を走るのですが、走るルートは教科書に記載されていましたが、すべて私の知らない土地(摂津市内)を走ることになることが恐怖に思えました。そこで私がし始めたのが、次に走るルートを教官に聞いて、電動車椅子でその教習ルートを走ってみるということでした。そして、教習所での講習が終わった後に次に走るルートを電動車椅子で走ってみました。
少し迷ったりしたためか、2時間掛かって一つのルートの下見をしました。そして、ヘトヘトになりながら終電で帰宅したこともありました。その成果で安心して教習コース(一般道路)を走ることができました。たまに講習がない時も摂津市に行き、教習コースの下見を電動車椅子で走ったこともありました。後に教官にその姿を見られていて、「あの時、あんな所で何してたん?」と聞かれて「次に走る教習コースの下見です」と答えると、とても驚かれました。
実技と座学の講習を受けていき、順調に進み、卒業検定まで進むことができました。そして、何とか一回で合格できました。
いよいよ門真運転免許試験場で学科試験を受ける段階にやってきました。私はこの試験で受かる自信がなかったので、門真運転免許試験場のすぐ近くにサクセス門真校という所で試験の予習ができる場所があると聞いたので、そこに行ってから試験に臨もうと思いました。そして、ヘルパーさんに出来るだけ早くに来てもらえるように相談して、朝5時ごろに来てもらい、準備して出発しました。そのサクセス門真校は5時30分から開校しているのですが、私が到着した時間は8時頃だったと思います。それからはヘッドホンを聞きながら予習をしたと思います。
(瀧本香織)
・試験コース(地図)の写真