今こそ進めよう!障害者制度改革 自立支援法廃止と新法づくりを確かなものに 10.29全国大フォーラム


昨年の大行動の集会で、同じ舞台の壇上で、長妻前厚生労働大臣が1万人の参加者の前、「重い負担と苦しみと尊厳を傷つける障害者自立支援法を廃止し、新法を皆さん一人一人の意見を聞きより良い制度を作りあげたい」と約束してから1年がたちました。この間、障がい者制度改革推進本部(首相が本部長)の下、1月から「障がい者制度改革推進会議」(小川 榮一JDF代表)が持たれ、国連が提唱している「障害者の権利条約」への批准のため、国内法の整備、障がい者差別禁止法の制定に向け、議論を重ねています。

6月には、議論の成果として、「第一次意見」がまとめられ閣議決定されました。これは障害者の生活、教育、労働、介護、医療などに則し、地域生活、地域自立を見いだす物として画期的なものです。
しかし、この意見が出される直前に、民主党、自民党、公明党などが政権交代前に出されていた内容をベースにした「自立支援法一部改正」法案が国会に挙げられました。これも「私たち抜きに私たちのことをきめないで」と訴える私たちの想いに対する裏切り行為です。
この状況下で国会の多数を占めている政党が以前と同じことをしていると多くの非難が寄せられ、今年の参議院選挙で廃案となりました。


だが、与党の考え方が揺らいでいて、油断をすれば、以前の考え方に戻ってしまいかねません。今こそ、障害者及び支援者、関係者が思いを一つにし、私たちの想いと力で一日でも早く、障害者の地域生活をつくりあげることを進めたいと全国各地で活動を繰り広げています。

今年のフォーラムは10月28日に国会議員に対し、私たちの思いを伝える活動が行われました。
障害者の地域生活確立の実現を求める全国大行動実行委員会の一員として参加しました。そこから83名が集まり、10の班に分かれて参議院議員を回りました。翌日の全国大フォーラムの参加呼びかけと、各地域の障害者の生活実態を生の声で届けました。  

今回のフォーラムでアピールのため掲げられた横断幕。日比谷公園野外音楽堂(後述)にて。


私たちの班は豊中・神戸・広島のメンバーで、24名の議員を回ることになっていました。2時間の間で1議員あたり5分という時間では、なかなか実態を伝えきれずで、結局先に終わった班から助けを借りて回り終えました。

豊中を代表として「豊中という地域性で、現行法である自立支援法は使いにくく、矛盾点がある。新法を作るには今以上に当事者の声を聞き、地域に見合ったものにしてほしい」と伝えていきました。

実際はほとんどの議員が秘書の応対で、廊下で私たちが話している前を挨拶もせずに入室していく議員もいました。
最後に行われた全体の報告会では、各班からそれぞれ訪問した議員の応対状況が報告されました。
「年々議員の対応が悪くなっている」、「秘書が障害者を全く理解していない」という感想が多かったのが残念でした。

10月29日は、ここ数日間の寒さと台風の影響で風が強く、体感温度も低くなる中、日比谷公園野外音楽堂と厚生労働省前に全国からの仲間が集まり、集会を行いました。

野外音楽堂では、4000人を越える参加者が集まり、集会前にミニコンサートが行われ「翼をください」の大合唱で集会が始まりました。
まず集会アピールが採択され、その文章を厚労省の岡本政務官に渡すことになっていたのですが、国会開催中で政務官は官僚が作った挨拶文を読み上げた瞬間に走って壇上を去って行きました。その瞬間場内は失笑が起こり、失望感が漂っていました。



次に各政党からアピールがありましたが、やはり旧与党の自民党、公明党からの出席はなく、民主党、共産党、社民党からの参加だけで盛り上がりに欠け、民主党以外からは前回のフォーラムで長妻前大臣の言葉や山井前政務官の壇上での涙をどう感じているのか、いまの与党に対して「自立支援法の違憲性が分かっているのか」また、「改革会議が進まないのは政権政党の責任」との批判が浴びせられました。

特に、社民党の福島党首からは、「改革本部が出来たときは担当閣僚で頑張ろうとした矢先、鳩山前総理が沖縄に米軍基地を押しつけ、その結果、社民党は政権から離脱した。すなわち改革本部の仕事を真剣にやりたかったのに出来なくなった。」とのアピールがありました。

今年も、連帯のアピールとして、派遣村の活動をし、全国各地で「炊きだし」の支援を行っている「反貧困ネットワーク」の代表者、湯浅誠さんが来られました。
湯浅さんは「一年前は政府も当事者グループと一緒に障害者の地域生活を進めるための活動を展開してきました。でも、官僚の主導体制はなんら変わらず、閣僚などの意見のブレがあり、このままでは政権交代前の状況になっていく、これからはより一層当事者グループなどが発言を活発にし、政府を動かしていくことが重要である。それが出来ないかぎり障害者差別禁止法の制定や国連の障害者権利条約への批准はほど遠い」と参加者に対してアピールをしていました。
また、参加団体のアピールとして、聴覚障害者のグループからは手話通訳や要約筆記がコミュニケーションのひとつとして確立させるための「コミュニケーション法」の制定を国に対して、訴えていきたいとの言葉がありました。

今回は、厚労省の政務官の挨拶や国会議員のアピールが優先され、プログラムが前後してしまい、聞いているものにとっては分かりにくく、拍子抜けをする場面もあり、これからの高まりに水を差すようなものになったと思います。昨年のような色とりどりののぼり旗も少なく、一まわり小さくなったような気がしました。このような事を続けていると、行政の術中にはまるような思いがし、背筋に冷たいものが走りました。


厚労省前でも、例年通り集会が行われていて、人数が少なかったのですが、一人ひとりがマイクを持ちアピールやシュプレヒコールを上げていました。
この後、国会方面と東京駅方面に分かれてデモ行進を行い、CIL豊中から参加したメンバーは国会方面に向かいました。警察官の先導もあり、シュプレヒコールをあげ、整然とデモ行進が行われ、国会議事堂前では、共産党、社民党の議員や秘書の方たちから声援をもらいました。ただ、昨年のような議員からの連帯アピールがなく、議員の前を素通りするようなものになってしまいました。国会開催中で出られないとの事でしたが、障害者差別禁止法の制定と障害者権利条約の批准、障害者総合福祉法の制定に向けた準備を行っているなら私達の思いを聞く姿勢を持って欲しいと思いました。

今回の集会、デモに参加して、障害者制度改革を私達の手で作り上げる思いをもっと前面に出し、活動の高まりを多くの人に分かってもらえるようなものにし、停滞している国の動きを再び活性化出来るようなものにする必要があると思いました。




シュプレヒコール! 障害者制度改革をすすめるぞ! 私たちの手で新しい法律をつくるぞ! 推進会議を尊重しろ! 地域生活の権利を保障しろ! 障害の範囲を見直せ! 応益負担を廃止しろ! 障害程度区分を廃止しろ! 移動やコミュニケーション支援を保障しろ! 国は地域生活の財源を確保しろ! 施設や精神科病院からの地域移行をすすめろ! 長時間介助制度を拡充しろ! 障害児施策を拡充しろ! 私たち抜きに私たちのことを決めるな! 障害者の権利を勝ち取るまでたたかうぞ! 最後の最後までたたかうぞ!


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