2009年度第1回、市民講座を開催しました
− テーマ:医療的ケアが必要な人の地域生活 −

2009年7月5日(日)午後、豊中市すこやかプラザ多目的室にて、今年度第1回市民講座を開催しました。
今回のテーマは、『医療的ケアが必要な人の地域生活』です。

講師を努めて下さったのは、『枚岡福祉会 はーふたいむ』施設長の平田直樹さんと、当事者で、『医療的ケア連絡協議会』代表の折田涼さん『人工呼吸器をつけた子の親の会』事務局長の折田みどりさん(折田涼さんの母親)の、3名の方です。


最初に講演されたのは、平田直樹さんでした。
平田さんは医療的ケアについて、以下の様に述べられました。
「例えば、鼻が詰まっていて寝苦しい時、本来なら鼻をかんだらスッキリするが、それが出来ない人に対しては、代わりに誰かが道具を使って、本人の鼻の中がスッキリするようにする。それが医療的ケアだ。」
「『医療行為』というのは、手術や点滴、採血など、医者ではないと行う事が許されていない行為を指す。『生活行為』というのは、着替え、寝返り、食事、トイレなど、専門職の人以外でも行える行為を指す。『医療的ケア』というのは、言わばこの2つの行為の中間で、吸引や経管栄養(口から食べ物を摂取出来ない人が、チューブを使って体内に栄養を入れる)といった、病院でも行われるが、家でも必要な行為を指す。
「今では医療的ケアは学校でも進んできている。だけど平成になった頃までは、ニーズとしてクローズアップされる事は無かった。1998年になって、国はようやく重い腰をあげ、養護学校(当時)における、福祉・医療との連携の実施に向けた取り組みを始めた。」

そして、実際の写真を交えながら、医療的ケアのやり方を丁寧に説明されました。

現在、在宅での医療的ケアに関しては、看護師が行う事は認められています。
ヘルパーについては、おこなっている事業所もありますが、ケアの内容によって、「うちはちょっと、遠慮します」と言う事業所もあると聞きます。
結果として、保護者がおこなっている場合が多くなっているのが現状です。

平田直樹さん スライドで、ケアの具体的なやり方を説明


講演中は、在宅で医療的ケアを受けながら暮らしている人を取材した、テレビ番組のビデオも放映されました。

ビデオでは、小学校6年生の、医療的ケアを受けながら通学している人が登場していましたが、母親は、ずっと学校に付き添っていないといけないという事で、「時間が拘束されるのは事実だけど、子どもの楽しそうな顔を見ていたら、納得せざるを得ないのかな?」と語っていました。
そして、厚生労働省が3年前に、家族以外にも痰の吸引を認めた事が報道されていましたが、現状、ヘルパーが引き受けているケースというのは、まだまだ少ないという事です。
この背景には、ヘルパーに支払われる介護報酬が高くない中で、さらに医療的ケアも仕事に含める事に対する事業所のためらいも、ある様です。
しかし家族にとってはヘルパーは絶対に必要で、そのため自分で介護者を探し、1〜2ヶ月かけて研修を受けてもらう様にした親も、いるという事でした。ビデオの中では、介護事業所の運営者も取材を受けていて、
「家族以外の第三者が、制度として、かつ十分な量で、医療的ケアを行える環境にならなくてはいけないですね。」
と話していました。

さて、最後に平田さんは、「法律というのは、決して人を取り締まるものではないのだが、それでも結果的に法律によって、様々な制約を受けている。だからみなさん一人ひとりが、当事者に成り代わって声をあげて欲しいと思っており、その意味では今日来られたみなさんは、貴重な財産です。」
と語られ、大変印象に残る一言となりました。


・療養環境の管理

・在宅患者の適切な医学的管理

・家族以外の者に対する教育

・患者の自由な意志による同意文書の作成

・医療職と連携して適性な看護・吸引の実施

・緊急時の連携・支援体制の確保
表中の項目のうち、●が付いている項目が、先生でも許されているケアです。
それ以外は、看護師のみが、行う事を許されています。
厚労省が定めた、学校で医療的ケアを行うための6条件です。
支援学校のみが対象で、普通学校は対象になっていません。




次に、折田涼さんと折田みどりさんが講演されました。
折田涼さんは現在20歳で、この春に池田市内の高校を卒業しました。
2歳の時に気管切開を行い、現在、24時間人工呼吸器を着けて生活しています。通常のコミュニケーションは、まぶたや眉間のシワを動かすという形でおこなっています。
1歳の時に骨髄性筋萎縮症と診断され、その時点で既に人工呼吸器は必要な状態でした。

折田涼さん。右側の人は、代読していた介護者です。


涼さんが生まれた20年前は、まだ人工呼吸器を着けて地域で生活をする人は殆どいなかったのですが、母親(みどりさん)が、『バクバクの会』に出会い、そこでいろいろなことを教わった事を通じて、地域での生活に踏み切ったという事です。

同年代の子ども達と触れ合う機会を創るため、行政と何度も交渉を重ねて保育園に通いました。24時間人工呼吸器を着けた子どもを受け入れた公立の保育園は、池田市が全国で初という事です。
保育園に3年間通った実績から、本来は地域の小学校に入学するのは何の問題も無いはずだったのですが、教育委員会から執拗に、養護学校を薦められたといいます。
人工呼吸器を着けている事と、医療的ケアを必要としている事の2点が、教育委員会が普通学校への入学を認めたがらなかった理由なのですが、保育園での実績もあるのに、教育委員会は何故その事実にもっと積極的に着目しなかったのだろう?と思いました。

結果的には地域の小学校に通えましたが、4年生の時までは、親だけしか吸引を行う事が認められず、従って親の付き添いが必要でした。
その事による不便さや煩わしさはありましたが、友達は吸引を手伝ってくれたり、友達の家に遊びに行った時は、友達のお母さんも手伝ってくれました。
授業中に急に呼吸器の管が外れた時は、隣の生徒がいち早く気が付いて管をつないでくれました。
『人工呼吸器や医療的ケアを特別視しないで、必要だからかかわる』という気持ちになることで、安全が確保出来るのだと感じました。

5年生になった時、学校に看護師が派遣されるようになったため、親の付き添いは無くて済むようになり、先生に対しても、吸引行為を体験してもらうための研修会を開いたりしました。

小学校時代の行事での一コマ。左は運動会のタワー完成の場面で、折田涼君の車いすの上に、
別の生徒が乗っかって、見事に演出しています。右は海水浴の様子で、本人一番の思い出です。


中学生の時は、親の付き添い無しで3泊4日の野外活動に参加出来たほか、高校受験のための配慮も、大阪府教育委員会がおこなってくれました。合格発表で、自分の受験番号を発見した時の喜びは、今でも鮮明に覚えているといいます。
高校は、電車とバスを乗り継いで、片道1時間の通学でしたが、入学当時、ノンステップバスが1台しか無く、不便な面がありましたが、卒業する頃には6台に増えていました。
涼さんが毎日利用する事で、バス会社も改善意識が変わったと思います。


現在は、進路を模索しながらも地域生活を謳歌していますが、将来は自立して、ひとり暮らしをする事を目標としています。
そのためには、2人体制で24時間365日の介護保障や、同性介護者の確保が必要です。
医療的ケアの研修も、今後はますます必要になっていくと思います。

通学のため、バスに乗るところ。実はこれは
ワンステップバスで、そのためスロープが急だった!
涼君の研修項目。右下は『生活ケア便利帳』。


最後に涼さんは、バクバクの会主催の研修に出席するため、新幹線で東京に行った時の話をされました。
医療機器を搭載して長時間移動するには、途中で呼吸器のバッテリーを充電する事が不可欠で、新幹線内でも充電しなくてはなりません。
ところがJRは、「新幹線内で充電するなら、『万が一のトラブルがあってもJRに責任を取らせない』という承諾書を書いて下さい」と言ってきたのです。
本来、電源は誰でも使える物なので、医療機器を搭載した車いすだからという理由だけで承諾書を書かされるのは差別行為なのですが、JRは「承諾書を書かないのなら新幹線に乗せない」と言って譲らず、結局乗車を果たすも、JRの社員からは、「電源を使わないで下さい。」と言われ、下車後も、「【医療機器を搭載している=車内でも医療行為が必要な人】だ。ストレッチャーに色々な機器が載っているので、それだけで医療行為だ。電源を使おうが使うまいが、ストレッチャーに乗っているというだけで、JRの許可が無ければ、新幹線にも在来線にも乗れない」
と言われました。
東京では新幹線から在来線に乗り換えなくてはならなかったのですが、その際もJRの社員は、エレベーターの案内すらしてくれず、次に乗る電車に渡し板も持ってきてくれなかったという事です。
こういうJRの態度は、本当に許せない!と憤慨していました。

JRは、今後も「120cmを超える車いすは乗せない」としており、公然と乗車拒否の態度を示しています。



最後に講演された折田みどりさんは、短めの時間でしたが、
先ずは涼さんの話にあった、新幹線・JRの乗車拒否問題に関して、
「呼吸器のバッテリーをつなぐと電圧が安定しないため、途中で切れる可能性が出てくる。その場合に、その切れた事に対して、JRに責任を問わないという承諾書を書いて欲しいという意味だった。」と補足がありました。
そして、7月9日にDPIの方と一緒に、この件に関して国土交通省へ話合いに行くという報告がなされました。

さて、ここからは涼さんの親としての話をされました。

息子が呼吸器を着けなくてはいけないと言われた時は、この先の事ですごく不安だったし、このまま生きていてくれるのだろうか?と、ものすごく葛藤がありました。
だけど呼吸器を一生外せないと分かった時も、「それで生きててくれるんやったらいいやん」と思ったのです。
一生病院から出られないのかと思ったら切なかったけど、呼吸器を着けていたらすごく元気だから、何とかして地域で暮らせないのかと模索している内に、淀川キリスト教病院で、呼吸器を着けて地域に出る取り組みが始まっている事を、新聞で知りました。
そこから、こんにちの息子の生活が始まったのです。

日頃、親が良かれと思っていても、息子にとってはそうでない事もあります。小学校への親の付き添いがあった時も、「私が涼の立場だったら、こういうのは嫌だな」と思っていました。
親も身体がすごく疲れるので、親がずっと傍にいることで、逆に息子の生活における安全性が欠けてしまうのではないかと思います。やはり色々な人に関わってもらえるほうが、安全性が増します。

自立という事に関しては、親が「私が絶対にいなくては〜!」と思っていると、なかなか子どもの自立は難しいと思うのです。やはり子ども自身に色々経験をしてもらい、社会を広げてもらわないと、いきなり自立というのは無理だし、親がいなくてもOKという状況は、出来るだけ作るよう心がけていますね。
親も、ほかの人に託して大丈夫なんだ、と思える体験をするのは絶対必要です。
ただ、先ほどの平田さんの話でもありましたが、法律上の壁というのがあって、それが息子の自立を阻害している面があるのは、事実ですね。

折田みどりさん 予想以上に参加者が集まりました。


 
質疑応答


最後に質疑応答が行われ、
「日頃、介護施設内での医療的ケアを行う中で、『これが問題だな』と感じている点は?」という質問に対して、
「今後支援学校を卒業する人が、社会的受け皿が無い事態に直面する、という事や、二次障害という点で、現在利用している人が高齢化するにあたって、どの様にしていけばいいのか?というのが大きな課題です。さらに施設を出た場合に、医療的ケアが入居出来るケアホームがなかなか無いので、地域移行を進めていくにあたっては難しい現状と言えます。」という回答がなされました。


今回は、新型インフルエンザの影響で中止になる可能性もあった事から、初めて申込み制にしましたが、それでも当日は約40名の方にお越し頂きました。
参加されたみなさん、そしてご多忙な中、講師をして下さった3人の方々、本当にありがとうございました。



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