第11回「インクルーシブ教育を考える」シンポジウムに参加しました


2013(平成25)年2月2日(土)、13:30〜17:00まで、『第11回インクルーシブ教育を考える』シンポジウムが、豊中市立大池小学校体育館にて開催されました。
主催は、豊中市教職員組合と毎日新聞社です。

インクルーシブとは『含んだ』『共に』を意味し、障害のある人も無い人も、共に地域の学校で学ぶ教育が『インクルーシブ教育』ですが、特別支援学級の存在との兼ね合いが、ここ数年来、課題となっています。
果たして、「ともに生き、ともに学び、ともに育つ」教育は今後、発展するのでしょうか?

主催者による、はじめのあいさつ

はじめに、主催者である豊中市教職員組合、執行委員長の山崎靖彦さんよりあいさつがあり、その中で、
「インクルーシブ・インクルージョンという言葉は昔より定着してきているが、一方で、『先ず分ける事ありきで、分ける事も踏まえてのインクルーシブ(→これでは意味が矛盾する)』や、○型インクルーシブ、タイプ△インクルーシブといった分類(→インクルーシブはそもそも分類を無くそうというのが考え方)など、ズレた意味での解釈をされる向きも出てきている」
という話がありました。
また、こんにちのインクルーシブ教育は、丁度40年前の1973(昭和48)年5月に、島田小学校において、当時障害児が校区の学校に入学出来ない状況だった中、入学出来る社会を創り、広げていこうという思いから、『ひろがり学級』を創設したのが起源だという事でした。



ここからは、「インクルーシブ教育の今、そしてめざすもの 〜分ける教育から、ともに学ぶ教育へ〜」という題目で、常磐会学園大学の堀智晴さんより講演がなされました。

冒頭、堀さんは、「現在の障害児教育を含む学校教育の現状は、非常に厳しい。私の考えるインクルーシブ教育とは逆行している」と述べました。
そして、「35年以上、豊中で教育現場に携わってきたが、いわゆるインクルーシブ教育というが正しいと思う様になったのは10年前ぐらいからで、それまではどちらが良いのか(分けるのか分けないのか)ハッキリしていなかった
と、胸の内を語りました。

堀智晴さんによる講演

最初は養護学校の雰囲気を見て、「こんなとこもあるのだったら、これでいいじゃないか」
と思ったそうです。
しかし、段々おかしいと思い始めた、それは障害児もゆくゆくは、卒業して社会に出ていく、その時にどう生きていけばいいのか、障害児だけで固められた養護学校では学ぶ機会が無いのでは?と思ったからです。

翻って健常児の視点から見た時、『分けられる教育』のもとでは、障害児と出会う機会がありません。
それもまたおかしな話で、実社会にいろいろな人がいるのなら、学校もまた社会の縮図として、いろいろな人が共に通う場として、位置付けられるべきだと考える様になりました。
昨今謳われている『特別支援学級』というのは、通う場所そのものは普通学校であるものの、そこで特定の科目を別学級に分けられるため、インクルーシブ教育にはなりません。

一方で、皆が同じ学級で学べば、どうしても突き当たるの【学力差問題】です。
確かに、『勉強が解らずに、ただ教室に座っているだけ』がいいとは思えません。
じゃあ、分けるしかないの・・・・・????

【能力があれば共に生きる事が認められる】と一般に言われるけど、その『能力』というのは、地域で共に生きる機会が先にあって、普通学級で共に学ぶという環境(これが即ちインクルーシブ教育)が保障されてこそ、初めて伸びるものではないのか?
ある事例を通じて、堀さんはそう考える様にもなりました。

最近では保護者も、我が子のニーズや状況に合った教育(つまりは個別支援)をして欲しいと望み、特別支援学級に転校させるケースが増えています。
そういう親の本音は、「共に生きるという考えはすごくいいのだけど、どうしても今の世の中を見ていると、どこかそれでは物足りないと思えてしまう」という事だそうです。
人は一生の中で、他者と交わる事によって初めて成長し、世界が広がります。
その意味で、障害があるという部分だけがクローズアップされて、最初から交わる機会を奪われる教育現場が生まれるというのは、あってはなりません。
実際問題、どこまで実現出来るかは容易い問題ではないけれど、インクルーシブ教育というのは、分けられる事の無い教育を目指していこうというものでもある、という事でした。

今の実社会を反映して、教育現場もゆとりの無いものになっています。
普通学級の中でも、他者と言い合ったり、協力して問題を乗り切るのが苦手な生徒が増えています。また先生の中でも、学力や成績の面を心配する結果、失敗を受け入れながら、生徒にいろんな事に挑戦させる人が減っていますが、これはインクルーシブ教育の土台を、揺るがしかねない現象だと言えるでしょう。
しかしだからこそ、インクルーシブ教育は必要だし、少しでも実践させるためには、例え余裕が無い中でも、先生が学級作りや学校作りを、生徒に任す様にしないといけない、と説いていました。

最近、発達障害の生徒が、「他の生徒とトラブルを起こすし、コミュニケーションを取るのが難しい」という理由で、どんどん分けられて≠「ます
専門家の中には、「発達障害の子がみんなと仲良くなるのは無理だ」と言う人までいるのですが、堀さん曰く、「うそですよ!そんなの」
無理はしなくていいから、みんなとトラブルが起きても、それを解決する体験を生徒たちにしてもらい、横から大人がバックアップするのが大切、と力説していました。
学校の主役は飽くまでも生徒だから、生徒が自主的に取り組める空気を作り、先生同士も結束をして一人だけが抱えて頑張る様にしない、これが、インクルーシブ教育の発展につながるという事ですね。
最後に堀さんは言いました。「よく見ていたら、子ども達自身、自分の物の考え方で生きていますよ」。

会場全体のようす

後半は、毎日新聞社の遠藤哲也さんがコーディネーターを務める中、3人のパネラーによる話が行われました。

 
パネリストの皆さん

●田村香代美さん(障害児保護者)

間もなく中学を卒業する息子がいます。3年前、中学入学の時期に豊中に転居してきました。転勤族で、2〜3年に1回、引っ越しています。他の地域では支援学級に通い、普通学級の生徒と接する機会は殆どありませんでした。豊中に来て、初めて普通学級を体験したのですが、皆と同じ教室で過ごすも、授業は全く解らずじまいで、親である私は、当初は混乱してしまいました。相談した先生からは、「子どもは、子ども同士の関わりの中で成長するんですよ」と言われましたが、その言葉の意味を理解するのには、時間が掛かりました。ある日、息子と出かけている時、道で会った同級生に声を掛けられ、本当に自然に会話を楽しんでいたのが、強烈に印象に残りました。「息子がクラスの一員として認められたんだな」と感じ、先生に言われていた言葉の意味が、だんだん解ってきました。学校での姿にも変化が現れました。何かを先生に相談する時は、ハッキリした声で、言葉も選びながら話をする様になったのです。一人で行動出来る範囲も増え、苦しい事を最後までやり遂げる力も身に付きました。これからも、困っている事をハッキリ言える、そして感謝の気持ちも伝える事の出来る人になっていって欲しいです。

●上田哲郎(当センター管理者)

小学校2年まで茨木の養護学校(現支援学校)に通い、3年生から地域の小学校に通いました。養護学校時代は、遊具も障害者用に特別に設計された物になっていました。普通学校に移り、クラスの人数が3人から40人に増え、急に賑やかになって、「ありえへんぐらい、うるさい」と感じたものです。だけど、ずっと養護学校だけにいたら、いろんな経験は出来なかったと思うんです。養護学校と普通学校の大きな違いを一つ挙げるならば、放課後の友達との過ごし方ですね。養護学校の時は、自分以外の2人は他市の子だったので、「今から遊ぼうぜ」とはなり得なかったが、地域の学校だと、そのまま友達と遊んで過ごす事が日常的になりました。あと、駄菓子屋さんに行けた事も大きいかな?駄菓子屋さんに行ったら、違う学年の人や、違う学校の人もいるから、そこに駄菓子屋のおばちゃんからの声掛けもあるというのが、今思えば、地域やなぁと思いますね。子ども同士の情報交換もあるとか・・・・。中学〜高校も普通学校に通いましたが、あの時期、何が一番楽しかったかって、体育祭や文化祭といった行事・・・・・・の後のですね(笑)、打ち上げが楽しかったですね〜。まあ、あんまり大きな声では言えない様な、楽しい体験もしたり(笑)。

●瀬尾亜希さん(豊中市立熊野田小学校教員)

教師になって丸7年です。私は子ども時代、障害のある子どもと接した経験が無かったので、今の経験を通じて、いろいろ学んでいます。初めの頃は、「何をしてあげたらいいのか?」と一生懸命でしたが、今思えば表面しか見ていなかったと思います。今でも悩む事は少なくないのですが、そういう時頼りになるのは、周りの子ども達です。子ども達の何気ない言葉がヒントになったり、一緒に考えてもらったりしているので、今では肩の力を抜いて、楽しみながら取り組める様になりました。ある保護者から聞いた話ですが、障害のある我が子が成人式に行く時、かつての同級生が家まで迎えにきてくれたそうです。子ども時代から一緒に過ごせば、大人になってもその感覚は生き続ける、「地域の学校で良かった」という保護者の一言に、すごく力をもらいました。特別支援の中で能力を伸ばしても、一人で生きていたら困難に遭遇します。そこで大事なのは、手を借りる様に知恵を借りる事だと思います。ある、記憶力やパソコンに強い生徒がいましたが、コミュニケーションは苦手でした。友達が具体的にやり方を教えながら一緒に課題に取り組み、最後、生徒から「ありがとう」という言葉が出た時は、みんな温かい気持ちになりました。


豊中が取り組み続けたインクルーシブ教育と、社会に於いては浸透されてきた特別支援学級。
両者の間での“せめぎ合い”は、まだまだ続きそうです。
しかし、国や他の自治体が言うところの『能力』というのが、果たして正しい尺度なのでしょうか?
長い目で見れば、子ども時代から共に過ごす教育環境の方が、大人になってから、より色々な他者への理解を深め、特色を活かし合える人を育てられると思います。
その時必要な能力を有する者が普通とされ、有しない者が特別とされるのは、ある程度、目先だけを見た話となるでしょう。
果たして、社会がその事に気付くのは、いつなのでしょうか・・・・・?


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